日本語教育の実習を最初の教歴だとすれば、この界隈に入って、そろそろ10年です。
10年と言っても、週あたりのコマ数、担当した授業の種類などはいろいろです。フルタイムで日本語を教えていたのも6年ぐらいです。また、海外で教える経験がほとんどです。それ以外はボランティア・プライベートなどです。
3か国+日本で仕事をしていましたが、毎回教科書が違うので、いわゆる初級で教えられるような内容を全て制覇していません。(;・∀・)
準備の際に何をしているのか
わたしは職場を転々としています。これは今後も変わらないスタイルだと思います。ですから、永遠に授業準備はなくならないと思っています。
教師になりたての頃は、確かに何時間も唸りながら準備をしていました。それは「知識の整理・補充(勉強)」と「授業の組み立て(教案作成)」を両方やっていたからです。
性格的なものだと思いますが、準備に時間がかかって嫌だなと思うことはありませんでした。むしろ、年齢が近い学生や年上に教えていたこともあり、「プロを装わなければ負ける!」と思っていたところもあったと思います。「負けたらどうしよう…」みたいな不安のほうが強くて…。学生と戦ってたんですかね。
調べたり、考えたりすることは苦痛ではありません。むしろそこが面白いのです。
今になってみれば、そこで積み上げたことが役に立っています。「知識の整理・補充」の蓄積ができて、調べなくてもわかることもあり、よくある質問も推測でき、準備時間が短縮されていきます。
また、「授業の組み立て」も慣れみたいなものです。文法ならこのパターン、聴解ならこのパターンと決まってきます。パターンに内容を当てはめていけば、教案はそこまで悩まずに済みます。そのうち、体が覚えているなんてこともあります。もちろん新しい科目を教えるときには、またゼロからですけどね。
時間の短縮はできても、「知識の整理・補充」も「授業の組み立て」も、なくなるわけではありません。
まず、教えたことがないことは必ず存在します。そうしたら、わたしは過去と同じように、結構時間をかけます。ただ、そのときもすでに関連する内容を教えていれば蓄積が役立つので、まったくの素人よりは早いはずです。
それから、教える相手によって、やり方を変える必要も出てきます。
教案をためておけばいいのにできない!
「教える相手」が私にとっては重要です。同じ内容を2クラスに教えていたときがありました。クラスの人数、レベル、学生のノリ、などなど。初回は平均的なことをしますが、2回目以降はクラスの色に合わせていきます。(余談ですが、「学生のノリ」というのは、冗談の通じ具合、知識欲があるか・楽しさ重視か、学生同士の仲の良さなどです。)
そういうこともあって、同じ内容を教えるときに、以前作った教案をそのまま使うことはありません。本当はもうちょっと貯めとけばよかったな~と思っています。最近はできるだけデータに残して、教えたあとに追記していることもありますが…。
教案と教えた相手を思い出せば、「あのクラスで教えたときはこうだった」みたいな個人的な記憶は呼び覚まされるんです。成功も失敗も思い出せます!(^o^)そうしたら、新しい教案でも、また書くのは楽だと思います。同じことをするかしないか選べるのです。
ゆる~く長い目で
大変さを強いるつもりはないですが、どうしても最初の1~2年は大変さを感じると思います。ただ、1年目より2年目、2年目より3年目…という感じで、慣れていくことで、少しずつ大変さは軽減します。これだけは保証します。
軽減しないと感じるとしたら、それは「同じことを教えていない」からです。ただ、それは「知識の整理・補充」がゼロだからですよね。「授業の組み立て」は大きく変わらないはずです。また、教えるということへの慣れもあります。自分のことで精一杯な1年目から、学生の反応が少し予想できる2年目という感じです。
同じことを教えているのに軽減しないとしたら、それは「改善したい」とか「今の学習者に合わせたい」という教師として大切なことに目が向いているということです。ゼロから作り上げるのに比べれば、それだけ考える余地があるんです。
苦労はつきものですが、そこで自分が成長できているんです。自分を褒めましょう!(^^)あと、たまに「手を抜いちゃったな」と思っても、自分を責めないで、次の日に挽回しましょう!
わたしはストイックに打ち込むことが好きなのでいいですが、そうでない人のほうが多いんだなと最近感じています。だから、他者にストイックさを要求しないように気をつけています…。サポートがあれば改善するのか、難しいところです。