にほんごぱーく NIHONGO PARK

日本語の教え方・授業アイデア・日本語教師の戯れ…(^o^)

日本語教師に近づいたころ

こうして書き出してみると、いろいろ思い出せます。若干脚色あり…(笑)

前回のお話はこちら。

nihongopark.net

今回は大学時代のお話です。

大学では何を勉強していたのかもはや覚えていません…。日本語教育のことを四六時中考えているようなこともなかったです。それでも、課題や演習をこなすときに周辺的に読んだり触れた本や論文の内容、どうやって分析していくかという観点は、今でもすごく役に立っています。

一番の思い出は、他学部の芸術系の授業を受けたことです。創造という意味では、日本語の授業もアートも似たようなものだと思っています。創造的なものはおもしろいです。( ̄▽ ̄)

 

学部3年生になって、将来どうするかを本格的に考えなければなりませんでした。だいぶ日本語教師への熱も冷めていました…( ̄▽ ̄;)そんなに簡単に日本語教師の仕事にありつけない現実を知ったからです。当時、日本の日本語学校での専任の仕事を求人掲示板で見かけることもほぼありませんでした。先輩たちは日本語教師の仕事に就くために、大学院に行く人、海外で教える人が多かったです。「結構狭き門で厳しそうだな…(´・ω・`)」と思いました。

 

毎年、夏休みに海外での教育実習が行われていたので、参加を申し込みました。「この実習に出て、日本語教師になるか決めよう!」と思いました。これでやめるか、その道に進むか、です。

 夏休みに某国で10日間(20時間)教えました。初学者に直接法でローマ字を使って教えました。経験ゼロですよ(笑)行くまえに、模擬授業をほんの少ししただけです。実習中は教案を書いて、先生に見ていただき、その日の授業をむかえ、終わったらFBを受けるというのを10日間。うまくいく日もヒドイ日もありました(FBの時間に悔し泣きもしたものです…)が、最後には思わぬ高評価を受けました。

 

ヽ(゚∀゚)ノ え!好きこそものの上手なれ?!

 

その年の秋、勢いで日本語教育能力検定試験に合格しました。

 

普通の就活はしないことになりましたが、ここで大学院進学が視野に入ってきました。卒論の勢いで大学院に行かないと、わたしは研究できないと思いました。半分はモラトリアムを抱えていましたが…。

結果的に大学院に進みますが、このときの研究の苦しみと教えることの楽しさとを両方経験して、何が自分にとって最良なのかがよくわかりました。これは次回書きたいと思います。黒歴史かもしれません。