にほんごぱーく NIHONGO PARK

日本語とお散歩の記録です

作成した問題は自分で解こう

自分で作ったテスト、解いていますか

わたしは凝り性なところがあって、テストのレイアウト、余白、配置、文字サイズなどにうるさいです。もちろん内容あってこそ、ですが…。

そういうわけで、作成したテストは必ず印刷して、数回の校正を行います。面倒ですが、テストは正確な能力の測定のためにあるべきなので、やるしかありません!

他人の作った物を見たことがありますか。授業見学の際に見た配布物、非母語話者教師が作ったテストのネイティブチェック、放置されていたプリントなどなど…いろいろと人のものを見て、ツッコミを入れたくなります…。

記述スペースの狭さや広すぎなもの、問題指示文がわかりにくいもの・不足しているもの、単純な誤字脱字、主述関係のねじれ、絵が見にくい…一度解いてみれば気がつくものもあります!(#・∀・)

でも、解いていないので気づいていないのでしょう。

やる側の立場から考える視点

宿題やテストの目的とそれにあった出題内容が大切なのはもちろんです。それをチェックするためにも、一度やってみることが重要です。

助詞の問題でも「答えが2つある」なんてことはよくあります。教師が「A」と答える問題を作っても、学習者は「AもBもいい」とか「Bだろう」とか、いろいろと考えるわけです。結局、Bと答えたら、間違いではないから良しとしてしまいます。ただ、本当に問いたかったことが問えないものだとあとから気づくのです。それだと、出題する意味がありません。

自由記述の問題の場合も、教師が意図した答えと違うことを書いてくるかもしれません。想定より記述量が少なかったり、逆にたくさん書きすぎたり、解答欄の幅が適切かどうかが、こういうところにも関わってきます。

実際に解くことによって、やる側(学習者側)のやりそうなことが想像できます。間違えやすい問題ばかり出しすぎていないか、易から難になっていたほうがいいんじゃないか、こういう誤答が出るんじゃないか、この使い方は説明していない用法だ…などなどいろんなことに気が付きます。

「やる側の視点を持つ」というのは、テストやその模範解答、宿題作成だけに限らず、授業や教えること全般に関わる大切な要素だと思います!なにかと自分が想定したとおりにことが運ぶことを考えてしまうんですが、現実はそうはいかないのです。だから、学習者の立場から見て、「こういうふうに考えるんじゃないか」「こういうところで間違える」など考えることは非常に有意義です。

それでも「なんじゃこりゃ~!(゜o゜;)」という答えが出るのが世の常です(笑)それが語学教師の楽しみでもありますね。(^o^)