にほんごぱーく NIHONGO PARK

日本語とお散歩の記録です

学習者は大人

学習者はみんな年上だった

大学生の頃、ボランティア教室で教えていました。当時、周りの先生方も、学習者もみな年上でした。わたしはまだ20代の小童(笑)。加えて、私の見た目も到底大人に近いものでもありませんでした…。

それでもどうにか大人を相手に、自分も一応成人していたわけですので、大人の振る舞いを心がけていました。当時、60代ぐらいの研究者の方もいました。(;・∀・)話し方に気をつけなきゃ…日本滞在も長く、地位もある方も多く、敬意を払わねば(年上だし当然)…と思っていました。

今もその癖が抜けない

そんな若かりし頃に身につけた癖がどうにも抜けません。仕事をはじめてからも、ほとんどが先輩教師で年上ということが多く、「です・ます」で話すことに慣れてしまって、カジュアルな会話が苦手になりました(笑)

家族に対しても、カジュアルに話していたはずが、久しぶりに会って話すと、自然と「はい」とか「そうですね」って言っている自分がいます…(*_*)気持ち悪い!

年上の方と接することのほうがまだまだ多く、年下の同僚でも最近は敬体で通してしまっています。でも、いろいろな年齢層のいる職場では、そのほうがいいのではないかと思っています。

それは学習者に対峙したときも同じで、普通レベルの敬体で話します(普通レベルというのは、敬語ほどではないという意味です)。授業外でも…。

学習者がよく聞くのは常体の会話かもしれません。ですから、本当はもっとそういうシャワーを浴びせてもいいのではないかと思うときもありました。でも、一応、大学生以上・社会人を相手にすることが多かったので、やめています。

日本語が話せない子どもではない

たまに、成人学習者のことを子どものように思っていそうな方を見かけます。日本語で話せることが少ないだけで、中身は大人なんです。

学習を始めたばかりの頃は、話す内容や発音から稚拙な印象を受けることもあります。それは慣れていないから、日本語の知識が十分にないから、うまくできないだけです。思考の部分は大人です。

ここで日本語教師としてすべきことは、思考は大人である学習者の尊厳を守ることではないでしょうか。日本で教えていたときは、ただでさえ日本語が通じなくて大変なのに、子供のように扱われて、大人としての尊厳を奪ってしまうのはよくないと思っていました。

私は日本語教師は学習者とフェアであるものだと思っています。知識量の差というのはあると思いますが、それが上位・下位をいうものではありません。学習者の目指すところ(目標)に一緒に立ち向かっていき、そのサポートをするのが我々なのではないでしょうか。

「子」ではない

学習者のことを「あの子は…」と表現する人に出会った時の衝撃は忘れられません。未成年者相手ならまだしも、社会人に対しても「子」というのはどうなんでしょうか。確かにまだ若く幼い印象がある学習者でしたけど…。

別に他の先生に「子なんて使うもんじゃない」とは言いませんが、内心やめてほしいと思っています。名前で呼ぶか、「学習者」とか「学生・生徒」ぐらいが適切なのではないでしょうか。単に呼び方を変えることでどうこうなるわけではありませんが、普段から「子」を使っていると、やはり子供のように見てしまうのではないかと思います。